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これからの日本をつくる"働き方"のストーリー

福祉の常識を打ち破る、福岡のIT企業。障がい者雇用でイノベーションを起こせ!

株式会社elseif
福岡にある株式会社else if(エルスイフ)は、障がい者就労継続支援A型事業・就労移行支援事業を手がける株式会社カムラックとともに、「障がい者の働き方改革」を旗印に掲げ、IT事業・ソフトウェア開発を通じて、障がい者との共存共栄を実現ました。これからお見せするのは、福祉の常識を破り成果を生み出してきた、ふたつの企業の物語です。

人材不足のIT業界と、仕事不足の障がい者雇用

▲else if 代表取締役・髙森啓二(左)、カムラック代表取締役・賀村研(右)

20年以上IT業界に身を置き、大手システム会社で部門長として働いていた髙森啓二は、慢性的なエンジニアの不足に頭を悩ませていました。

そんな折、髙森は障がい者が主体となってホームページ制作やシステム開発、デザインなどを手がける株式会社カムラックと出会います。オフィス見学をしてみると、そこで働く「障がい者」と呼ばれる彼らは、高森の目には従来のイメージと異なるように映りました。

髙森 「一般的に障がい者の仕事といえば軽作業や事務作業が多いものです。でも、カムラックは障がい者も健常者も一緒になってプロジェクトを遂行していました。カムラックの賀村社長に話を聞くほど、私の悩みだった人材不足と、カムラックが欲していた仕事の案件がマッチングすることで、IT業界に雇用イノベーションを起こせると確信しました」

妻が障がい者就労支援B型事業所の施設で働き、母も精神科の看護師だった髙森は、いずれ自分も社会の役に立つ仕事がしたいと考えていました。賀村に相談を持ちかけ、ともにelse if(エルスイフ)を立ち上げることに。

カムラックやelse ifではたらいている人の多くは、うつや統合失調症といった精神疾患を抱える障がい者や、長期に及ぶひきこもりで社会生活がうまく送れない人たちです。特に前者においては、自身にITスキルがありながらも、職場環境などに馴染めず「こころの問題」を患ってしまった人も一定数存在します。

本来はIT業界に向いている人材にも関わらず、彼らに与える仕事や、それを支える職場がない……。髙森たちはそれを解決しようとしたのです。

2015年に立ち上がったelse ifは2017年現在、CSR案件にとどまらず、仕事の品質を買われての指名も増えてきました。技術力を身につけた障がい者メンバーがカムラックから大手企業へ転職するといった実績も産んでいます。

とはいえ、その道のりには頭を悩ませることも、大きな気づきを得られることも、さまざまありました。

居場所をつくり、仕事をつくり、仲間をつくる

▲引きこもりを経験した男性社員は、この“居場所”で大活躍をしている

髙森や賀村研が口をそえろえていうのは「障がい者も健常者も同じである」というスタンスです。最も大切なのは、コミュニケーションをいかに図り、担当作業に対してのモチベーションをいかに上げるか。ただ、その方法論が健常者と異なるだけなのです。

賀村 「開発業務でよくある例は、5人月で受注した仕事を3人月で成し遂げ、2人月の利益を出すという発想です。ただ、我々の場合は5人月の仕事を8人月や9人月でやる。作業量が分散され、一人当たりの時間も減って残業なくやれる。利益も当然みんなで分散するわけですが、それは折り込み済みですし、それでも一般的な障がい者雇用よりは高い賃金になる。

そうしてみんなで仕事をして、全員に『あなたがいてもらわないと困る』という仲間としての接し方をするんです」

居場所をつくるため、仕事の仕方もOJTがメイン。教育担当からラーニングを終えたら、すぐに現場へ。新人だけでなく、社員にも積極的に「やったことがない仕事」も担当させます。使ったことのないプログラム言語を覚えながら仕事をすることで、成長機会が絶えず日々ある状況をつくるのです。仕事量の分散といった配慮された環境があってこそ成り立っています。

自分にとって行く場所があり、活躍する機会がある。そして、それを喜んでもらえる仲間がいる。すると、障がい者たちの顔色は、はたらくごとに変わっていきます。

まわりの経営者から「精神に問題があると会社に来ないのでは?」と聞かれることもありますが、カムラックグループの社員は出勤率9割以上。

賀村 「通院などで休むことはありますが、ほぼ毎日来ています。人々がいかに固定観念で話しているかがわかりますよ」

たとえば、15年にわたってひきこもりを経験した男性社員は、すでにエースプログラマーとして活躍しています。自宅にいる間もゲームなどを通じたITリテラシーが高かった彼に「ウェブページのソース解読」から任せ、仕事の裁量も大きくなるごとに、頭角を表していきました。

髙森 「ただ、ずっと話したことがなかったから、メンバー同士でもうまくコミュニケーションが取れないことがあった。落ち込んでいる彼と食事をしたり、対面ではなくテキストでのやり取りをしたりと工夫していくうちに、それもできるようになって。今ではメンバーでいちばんおしゃべりなんじゃないでしょうか(笑)」

「障がい者だから」という甘えを無くしたら道が開けた

創業当初のelse ifにとっての大きな悩みは「信用」でした。

障がい者雇用はCSR案件にも当てはまりやすく企業価値としては強みでしたが、発注企業からすればと「障がい者=納品やクオリティへの不安」という思いはつきまとい、まずはいかに払拭させるかに苦心しました。

そのために、プロジェクト遂行における進捗や品質管理では「障がい者だから」という甘えを無くし、納期・品質を第一に仕事を進めました。しかし、メンバーの体調不良による急な欠勤、各自の障がいに合った指導方法が確立できていなかったこと、技術力の低いメンバーへの技術指導など、課題は山積みでした。

髙森 「作業指示の難しさを痛感したことがありました。質問に対して、詳細な経緯を説明せずに回答したことで、本人の作業に対するモチベーションを下がってしまったんです。説明や作業指示を省いたことで『雑に扱われた』と感じてしまった。彼らは人一倍敏感ですからね。指導スタッフが『情報を伝えすぎては混乱するだろう』と気を使ったのが仇になりました」

設立当初は障がい者雇用で実績があったカムラックのグループ会社ということで、ある程度の信用は得ていたものの、できたばかりのelse ifの案件は単発かつ単価が低いものが多くありました。

安定的な受注と運用を考えれば心苦しくありながらも、まずは案件の大小に関わらず、信用を裏切らないために健常者/障がい者も関わらず、一丸となってプロジェクトを進行。その積み重ねが信用につながり、メンバーの結びつきを強めました。その姿勢は今も変わりません。

髙森 「今になって思えば、私たちはIT畑で、福祉関係者ではないスタートがよかったのだと思います。障がい者たちのことを“知りすぎなかった”からこそ、仲間として接することができた」

障がい者たちと仕事を通じて交流するうちに、髙森や賀村にはすこしだけ未来の想像図まで見えてきています。それは「健常者」と呼ばれてはたらく人たちにとっても決して無関係ではありません。

賀村 「たとえば発達障がいを持つ人は、対面での会話が苦手なだけで、デバイスやコンピュータに関しては得意だったりする。もっといえば、私たちが話している会話そのものが、コンピューター用語に照らしたらバグだらけに聞こえる。彼らの言葉のほうが、よっぽどストレートで伝わりやすいと感じることも多いです。

もし、AI化の時代がきて、求められる会話の“質”が変わったとすれば、彼らこそ今後に適した新人類かもしれない。そう思えば、私たちは付き合いやすい」

LINEといったコミュニケーションアプリでやり取りをして、買い物は人を介さないAmazonで完結する。ともすると、その時代に適した人材と仕事をしているかもしれないというワクワク感は、髙森や賀村の教育へのモチベーションにもつながっています。

else if──“それ以外”と歩む未来へ

▲地元福岡のアイドル「LinQ」は会社のイメージキャラクターとなり、応援してくれている

2017年現在はカムラックと協業することで、障がい者の働く可能性を広げるだけでなく、成果物の評価も高まっています。地元福岡の自治体ホームページのデータ移行やスマートフォン対応といった全面リニューアル案件のほか、大手企業のシステム開発など、受注金額1,000万円を超す案件も指名をいただいたうえで受注できるようになってきました。

売上が伸び、難しい案件を受注できることで、障がい者メンバーの給与と技術力向上にもつながります。 仕事と生活の両面で彼らを自立させ、ひとりの納税者とすることで、「障がい者との共存・共生・共栄社会」が作り出せると、私たちは確信しています。

賀村 「一時期、A型事業所が問題視され、取り上げられたことで、カムラックやその関連会社も全て同じように扱われることがあるのですが、私たちは全く別物だと自負しています。

カムラックは日本でも数少ない……いや、日本でも珍しいといえるであろう、社員全員が短時間でない社会保険を持っている企業のひとつです。福祉スタッフや生活支援サービスなどとも協力し、各自の障がいに向きあいながら、IT技術者を養成し、IT企業としての成長を図りたいのです」

そして、else ifでは次なる取り組みも進んでいます。

障がい者だけに特化するのではなく、技術や現場管理の経験を持つベテラン高齢者や、高いスキルを持ちながら主婦として日々を過ごしていた子育て女性など、「適切な機会さえあれば活躍できる」人材が輝く環境をつくろうとしています。

else ifには30代半ばから60歳を超える人まで、さまざまな人が所属しています。

髙森「会社名のelse ifは、IT技術者畑の方ならご存知でしょうが、開発の文法で“分岐”としてよく書くプログラムです。意味合いとしては“それ以外”。僕自身が会社“以外”のところで勝負がしたかった思いもありますが、今では社会的に見られている“以外”の人材とも仕事がしたい、という決意があります」

障がい者をはじめ、“それ以外”の領域からイノベーションを起こすーー。else ifの挑戦ははじまったばかりですが、想像以上に大きな手応えを得ています。企業側も、障がい者側も、互いを理解した上での雇用や就職を考える未来をつくる。そのきっかけに自分たちがなる。

その想いは今日もメンバーの胸に火を灯し、先を照らす明かりとなって輝いています。

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