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これからの日本をつくる"働き方"のストーリー
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輝ける農業を目指して──「みかんのみっちゃん」が広げた仲間との出会い

みかんのみっちゃん農園
  • テーマ別部門賞
「一年中畑にいて、働いてもさまざまな面でプラスになったかどうか、実感できていなかったですね」──家業のみかん農家を継ぐ気はなかった小澤光範は、ある「輝く農家」との出会いをきっかけに実家のみかん農園を継ぐことに。さまざまな出会いを繰り返しながら、輝ける農業を目指した道のりを振り返ります。

みかん農家を継ぐきっかけとなった「輝く農家」

▲ご家族の皆さんとの写真

私は2015年、26歳のときに勤めていた会社を辞めて家業のみかん農園を継ぎました。今でこそ、みかんの被り物をして「みかんのみっちゃん」キャラとなって魅力を伝えていますが、かつては「みかん農家なんて絶対に継ぎたくない」と思っていました。

とくに中学・高校の多感な思春期には、実家が「汚れるみかん農家」であることがすごくいやでした。農薬や肥料、土を触ると汚れて臭いも付きます。

祖父母、父母で農園を運営していましたが、「農業はもうからないからもうダメだ」とネガティブな発言が当たり前。一年中、畑仕事をしていても稼げているようには見えませんでした。

大学卒業後は青果物販売グループの企業で農産物のマーチャンダイザー、つまり買付けをして一般会員へ販売する仕事に従事。全国を飛び回って産地を訪問し、実際にはもうかっている農家もたくさんあることを知りました。

そんな中の2013年ごろ、運命的な出会いがありました。まだまだSNSの普及はこれからというタイミングで、東北のある農家さんが、SNSを活用して消費者とダイレクトにつながり直販することを考えていたのです。

彼らは農業の仕事がすごく楽しそうでした。私と同い年くらいの跡取り息子が言うんです。「父はかっこいい」と。自分も農業で育ってきた、見習いたい、そう言える人間になりたい、と思いました。

SNSを使った工夫で生産や販売まで考える農家なら自分もできるかもしれない。親だっていつまでもいてくれるわけではない。少しでも一緒にいる時間を増やして学ぶ方が得るものも大きいし、親孝行したい気持ちもありました。

規格外品を少しでも食べてもらうために「みかんのみっちゃん」に変身

▲みかんのみっちゃん

2019年現在、父と母と私で和歌山県のみかん農園を経営しています。

今でこそさまざまな取り組みを行っていますが、帰ってきたばかりのころは農家の抱える課題に直面していました。

「規格外品」の問題です。

規格外とはJA(農協)が定めた、見た目などの基準を満たしていないみかんのことです。私たちは有田みかんをつくっていて、JAに卸したりもするのですが、そのためには一定水準をクリアし、A級品と呼ばれる品質のものを提供する必要があります。人間ですから、検査する人によって判断にバラつきは出てしまうものです。しかし、販売用、加工用にすらならないものはおすそ分けか廃棄するしかありません。

これはあまりにもったいない。せっかく愛情込めてつくったみかんを廃棄せざるを得ないのは心苦しい。絶対欲しい方はいるはずだ、なんとかできないか、新しいサイクルをつくって消費者に届けられないか……そう思い、SNSを通じて「欲しい」と言ってくださった方々のべ2500人ほどに贈りました。

これが好評だったこともあり、徐々に大阪や東京でイベントを開催して規格外のみかんを無料で配りました。もっとみんなに知ってもらいたいと、派手な色の服なんか着ることのなかった自分がみかんのシャツを着るようになったのです。やがてみかんのシャツだけでなく、ネクタイ、みかん型の被り物へと、見た目を進化させていきました。すべては、自分たちのみかんのおいしさを広めたいとの想いから行ってきたことです。

次第に「みかんのみっちゃん」と呼ばれてキャラの認知が広がり、ローカルテレビだけでなく、全国ネットの番組にも出演することができました。知らない人から「みかんの人だ!」と声を掛けてもらえるようにもなり、認知が広がったおかげで、うちのみかんを使った商品化の声を掛けてもらえるようになりました。すべては人のつながりから始まっていったのです。

みかんの価値をさらに高めるための土や肥料へのこだわり

▲みかんの価値を高めたい

農家の抱える課題として高齢化の問題は深刻です。昔は収穫の時期に若手がいたのですが、今は都会へ出て就職してしまっている。しかし私は和歌山の有田みかんを守りたい。どうしても、繁忙期に若い人手を集めるしくみが必要でした。

こちらの問題は、あるイベントで知り合った方とのつながりで解決しました。援農キャラバンという若者を派遣して農家体験してもらう事業を行っている方から、しくみを借りることにしました。

その協力によって、今でも収穫の時期には2週間以上、20名ほどの方々に手伝ってもらっています。SNSを通じて直接「手伝いたい」と連絡をしてきてくれる若者もいます。

家業を継いでから4年。年間30トンもの規格外みかんを今ではジャムやお酒などに使って商品化し、活用しています。飲食店から直接卸してほしいと頼まれることも増えました。

ただ、私の目的は規格外のみかんをつくることでも、商売の手を拡げることでもありません。和歌山のみかんを守るために、ちゃんと売れるものをつくり、A級品の価値をさらに上げることです。

規格内のみかんは年間約100トンほどですが、農薬を減らしたり新しい農法を試したりして、廃棄になってしまうものをなるべく減らすようにしています。

土壌の改良も進めています。これまでは肥料も教科書通りに施肥していました。しかし、山の上と下では気温に1度も差があります。

ある農家さんが引き合わせてくれた肥料屋さんと出会い、土と肥料が違えば実のかたち、成り方や色付きも変わることを教わりました。農家によって木の個性や日照条件が異なるので、同じように対処できるものではないこともわかり、知れば知るほどみかんづくりの奥深さを実感しています。

また、糖度を追求しすぎると木が弱って毎年実が成らなくなってしまいます。ですが私は、木が常に体力のある状態にして毎年いい実を成らせたい。味は、もちろん糖度もあるのですが、糖度と酸度のバランスが一番大事です。また、アミノ酸の含有量で食味が変わったりもするんです。本当に知らないことも多くありましたが、たくさんの人に出会い、サポートしていただくことで、少しずつ自分の目指したいみかんづくりに近づくことができています。

ワンピースのように「みかんのみっちゃん船団」を拡げていきたい

▲みかんのみっちゃんの仲間たち

今後もやりたいことは山のようにあります。ハート形みかんの制作や機能性表示食品の資格取得、作業内容の効率や手押し車電動化キットの開発、導入……。

実践と経験を通じて、自分のかたちでどう取り入れていくかを常に追求しています。農家は土地を知らないと良いみかんがつくれません。教わったことをそのままやっても、自分の土地に必ず合うとは限らないのです。

また、野菜と違って果樹は結果が出るのが10年先。長い目で見て育んでいく必要があります。

台風の被害にも遭い、樹が倒れてたくさん実が落ちました。やはり農家は簡単な仕事ではありませんので、落ち込むこともあります。でも、落ち込むだけで終わるのではなく、その経験から、もっと園地を作業しやすいようにつくり変えたり、台風に左右されにくいしくみをつくったりするなど、自分たちの農園に合った方法を追求しています。

今後は、漫画のワンピースのように仲間と航海し、行く島行く島に仲間がいるような関係性を築いていきたいですね。みかんのジュースもマーマレードも、すべて大切なチームや仲間がいるからこそつくることができます。ありがたいことに、少しずつ応援してくれる方々、声を掛けて協力してくれる方々が増えてきています。

自分がみかんづくりに打ち込めば打ち込むほど、最近は父のすごさもわかってきました。長年自然を相手にしてきた人の言葉には重みがあります。父のことを心から「かっこいい」と思えるようになった今ですが、面と向かって言うのはまだ照れるので、先になりそうです。

「おいしい」「君のみかんが食べたい」と言ってくださる方々の言葉がなによりの原動力。今度は自分の姿を見て「農家はかっこいい」と言ってもらえるように、楽しく、輝く農家の働き方を実践していきたいです。

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