ヒトが生産的に"動く"ためのロジックは? とある研究員が開発した「組織の温度計」
チームのつながり、構造を可視化することで課題を浮き彫りに
職場やチームが生き生きとしているか、ポジティブに機能しているかどうかは、人は体感で感じ取っているもの。しかし、職場に課題があると感じても、それを改善するのは簡単ではありません。
同じ職場でも人によって視点は異なり、他でうまくいった手法をマネしたところでこちらにも当てはまるとは限りません。一定の解がないため、マネジメントは常に手探り状態になってしまいます。
チームの連携や職場の雰囲気を何らかの方法で数値化することで、チームマネジメントの指標にできないか? ——それがこのプロジェクトの出発点です。
日立製作所の研究開発グループでは2004年ごろ、名札型ウエアラブルセンサーを開発。オフィスのカードキーのように首からぶら下げて仕事をすると、加速度センサーで体の動きが計測され、赤外線通信機能で誰と誰がいつ、どのくらいの時間対話をしていたかがわかります。
このセンサーにより、日々自発的に動くチームメンバーの連携構造をネットワーク図というかたちで可視化できるようになりました。
たとえばAさんは、かなりのメンバーとつながっている。いろいろな人から頼りにされていて調整役を担っているようだが、Aさんだけに頼り切っている状況はマネジメントの観点では好ましくない。Aさんの仕事を軽減する対策を考えよう……というように、チームマネジメントに活用することができます。
研究開発グループの一員である辻聡美は、「まずは可視化することに大きな意味がある」と考えています。
辻 「意外な結果が出ることはあまりなく、だいたい当事者の方々が思い描いたとおりになります。しかし可視化することで、漠然と思っていたことを口に出して問題を明確化するきっかけができる。そこで企業向けに、対策をチームごとに考えていただくワークショップも行っていました」
さまざまな企業に対するワークショップを5年ほど続けた2009年ごろ、経験を重ねるうちに、新たな課題も見えてきました。
メンバーのつながりかたの理想は、チームや状況によって異なるため、基準が示しにくい——。
このままでは、どう動いたらチームにとって最適なのか、マネージャーにもチームメンバーにも確信がもてません。そこで辻が所属する研究開発グループは、ネットワーク図以外に、組織がどうあるべきかを示す指標をつくる必要があると考えるにいたりました。
それが、次の段階で開発した「ハピネス度」です。
無意識も含めた体の揺れで、組織の「ハピネス度」がわかる
「ハピネス度」というのは、別名「組織活性度」といいます。組織を構成する個人個人の状態を合計したものではなく、あくまで“組織”が生き生きしているかどうかを示す指標です。
このハピネス度、何のデータが土台になっているかというと……人の体のこまかな「揺れ」のリズムを計測したデータなのです。
何十人ものデータを1週間、1ヶ月と蓄積し、これを統計的に処理したデータと、チームメンバーに対してストレス度合いなどを聞いたアンケートのデータを掛け合わせたところ、生き生きしている組織と元気のない組織では、グラフの線の描き方が異なることがわかりました。
辻 「個人的なことをいいますと、私、もともと機械工学科出身なんです。ロボットや機械が動く仕組みを分析するのが好き。一方で、人間社会って理不尽なことが多すぎますよね。
機械は全部ロジックで動くのに、人間社会はもっと“なあなあ”で、なんとなくこの人が好きだから、嫌いだから……なんて理由でグループが分かれたり対立したり。まったく理解できません。
人間が“動く”理由をなるべく合理的に理解したくて、心理学や認知科学を学びました。今回のハピネス度も、理解できない人のコミュニケーションの本質を、ロジックで測りたいという思いがあったんです」
人は対面コミュニケーションで、声の質や大きさ、笑顔などの表情から、チームが生き生きしているかどうかは感じ取ることができます。一方でハピネス度は「揺れのリズム」という、人が用いる感覚とはまったく異なる指標をもって組織の活性度を示しています。主観や経験に依存しない、非常に明快な指標だといえるでしょう。
私たちはハピネス度を「温度計のようなもの」と位置づけています。
温度計がなくても、暑いか寒いかを感じることはでき、子どもの額に手を当てて熱が高いかどうかを感じ取ることはできます。しかし温度計があることで、天気予報を見て上着をもっていくかどうかを決める、体温計で熱を測って夜間でも救急病院へ行くかどうか決めるなど、測定した温度は、行動を決めるひとつの大きな指標となっているのです。
ハピネス度も温度計と同じように、働き方を変えていくためのひとつの指標にしていきたいと私たちは考えています。
これまでは現場の経験豊かなマネージャーが「このチームはちょっと空気が悪いからこうしてみよう」と介入していたものが、組織の温度計があれば、良い状態を保つためにはいつ動いたらいいのか、動いたら効果があらわれたのかを客観的に評価することができるようになるのです。
ハピネス度活用で働き方改革を。生産性向上効果も実証済み
ハピネス度を実際に組織のマネジメントに活用していく手法として、私たちは、ハピネス度を指標にした「働き方アドバイスアプリ」を開発しました。
チームのハピネス度を数字と絵で可視化し、さらに毎日の行動ログと合わせた統計分析を実施。これによって、メンバー一人ひとりに「タイプ診断(どういう働き方が向いているか)」と「今日の働き方アドバイス」を示します。
アドバイスが“押しつけ”にならないよう、言葉選びにも気をつけています。アドバイスを見て自分の行動を思い出していただき、こういう働き方をするのがいいかもしれないと自分で解釈して、次のアクションにつなげていっていく過程が必要だからです。
また、アプリを使ってハピネス度を上げていく施策についても、私たちのほうから答えを示していくことはありません。どうしたら良くなるかについては、組織の分だけ答えがあるもの。ひとつの見方を押しつけるだけではこのアプリの意義がありません。
辻 「どうしても組織の働き方改革というと、個々人の事情まで配慮できずに、5時に帰りなさいとか会議は減らしてとか一斉に施策を打つことになってしまいがちです。
しかしこのアプリを使えば、『あなたは会議のキーパーソンで他の人のためにもなるから会議には積極的に出て、そのかわりデスクワークは違うメンバーに任せましょう』といった個別の対処ができます。
人それぞれの強みを引き出してもらえるような、多様な働き方の材料としてアプリを活用してもらいたいですね」
ハピネス度の活用は、マネジメントの新しい指標を示しました。そしてハピネス度を活用してチームや個人の働き方を変えていくことは、生産性の向上にも直結します。
私たちは、日立グループの営業職約600名にこのアプリを4ヶ月間にわたって使用してもらう実証実験を行いました。この結果、アプリの利用時間が長い部署は短い部署よりもハピネス度が向上。また、ハピネス度が向上した部署は、翌四半期の受注達成率が目標より11%上回ったことが確認できました。
辻 「組織が生き生きしているほうが生産性はいいだろうと思うのは、健全な社会の考え方です。しかし、いわゆるブラック企業の中には『社員を追い込んでこそ生産性は上がる』という考え方もあるわけです。そして私たちはそれを否定する根拠を持っていない。
私たちが今回示したことは、そうじゃないんだ、ハピネス度の高いチームや組織こそが業績も良くなるんだということです。これをデータで実証できたことには大きな意義があると考えています」
世界中の誰もが気軽に活用できる、「働き方の温度計」として浸透してほしい
ハピネス度は新しい概念であるため、技術の精度を上げていくのと同時に、社会に受け入れられていくための努力が必要です。ふだんからなるべく多くの方に使っていただくことが、今後の当面の目標になります。
そこで日立は、組織の幸福感を高める各人の工夫が、産業・地域・国の規模で共有・活用されることで、全体の幸福感が向上し、個人にも還元されるようになるサイクル・仕組み作りをめざすコンセプトとして「Happiness Planet (ハピネスプラネット)」を始動。
活動の第一歩として、スマートフォンの加速度センサーを利用してハピネス度を計測するアプリを開発し、2018年1月下旬には、βテストを開始する予定です。
辻 「これからの産業は、単に工場でモノをつくる効率を上げていくような考え方では成り立ちません。人間が生産主体になるサービス業にシフトしているのですから。
そのためには、人間をいかに休みなく働かせるかではなく、いかにモチベーションを与えてクリエイティビティを発揮させ、生産性を高めていくかということが課題になる。その際に、ハピネス度のような科学的な方法論を一般化していく必要があるのではないでしょうか」
たとえば、私たちが気温28℃というのを見て、ちょっと暑いなと思うのは、毎日エアコンの設定温度や天気予報を見ているからです。数値と自分の体感が一致している。そんなふうにハピネス度も浸透させたいと考えています。
「今日はハピネス度が80から60に下がっちゃった、まずいな」と、ふだんから誰でも手軽にハピネス度の技術を活用できる——。そんな未来も、私たち日立製作所が提案する、働く人々に寄り添った人間の理解とソリューションなのです。