公務員の枠にとらわれず、エコなまちづくりを町長へ提案。稼ぐインフラづくりを
エネルギーがもったいない──ダムの放流水から生まれたエコなまちづくり
和歌山県に位置し、町の中心に有田川が流れる、自然豊かな有田川町。旧金屋町役場に勤めていた中岡は、1998年に隣町である旧清水町に建設されたダムの維持放流水を見て「エネルギーが捨てられている、もったいない」と感じました。
その後、2006年1月に行われた3町合併(吉備町・金屋町・清水町)を機に、中岡は放流水を活用した小水力発電所の建設を含む「有田川エコプロジェクト」を町長へ提案。当時、教育委員会所属の社会教育係長であったにも関わらず、専門外の領域である水力発電にスポットライトを当て、調べ尽くして計画をまとめ、提案を行いました。その結果、2009年度に特命係長に任命され環境衛生課に異動し、再生可能エネルギー事業に着手しました。
中岡は小水力発電所の建設計画を進めながら、並行して2010年度には住宅用太陽光、2012年度には県下唯一である太陽熱温水器への補助制度を創設し、再エネの住民への普及を目指しました。また外灯を兼ねた非常用オフグリッド電源を普及させ、さらに課の管理施設であるプラスチック収集場の屋根にも太陽光発電設備を設置し、売電により年間約150万円の町収入をもたらしています。
現在、小水力発電所には年間約5,000万円の売電収入があり、基金として住民のエコ設備補助制度の原資として活用されるなど、さらなるエコなまちづくりに生かされています。
計画から完成まで7年、幾多の困難を乗りこえて実現した「エコなしくみ」
今でこそ成果が称される有田川エコプロジェクトですが、構想から今までのプロセスは、困難極まるものでした。
中岡 「当時は社会教育係長だったので自分にとっては職域外の領域でしたが、やってみたいと思い、年一回の異動希望調書の際にアイデアを出しました。水量と落差がわかれば放流水が持っているおおよそのエネルギーが計算できるので、素人なりに発電量予測と建設費を自分で調べ試算してみたんです。収支計算の結果、充分に元が取れると確信できたので、アイデアを出しました」
しかしこの大掛かりな提案は実現性が低いと判断されたのか、中岡は水道課の庶務係長へ異動に。そんな中でも諦めず、その後も業務の合間を縫っては計画を見直し、提案を続けました。
中岡 「京都議定書をきっかけに、社会で再生可能エネルギーが認知され始めていたんです。また、エコというキーワードにも注目が集まっていました。水力発電をすれば、電力を売ったお金が町財政の助けになるため、まさに“環境にも財政にもエコな発電所”と銘打って、提案を続けていました」
ダムの維持放流水には、電力会社や大手ゼネコンも目をつけていました。しかし水利権の取得に至るまでのプロセスは、あらゆる手続きが難解で煩雑であり、また法規制も厳しく、大手企業でもすぐに諦めたといいます。
中岡 「県の担当者に相談に行ったところ、企業からも同じ内容の相談をもらっていると言われました。担当者は、川の中に小水力発電所をつくるなんて、100メートルの壁に素手で登るのと同じことだと言いながら、いかに難しいことであるのか説明してくださいました。それを聞いて企業は諦めたそうです」
そんな中でも中岡は交渉を中断することなく、関係各所との調整を続けました。2011年の東日本大震災や紀南大水害の発生により、低炭素なエネルギーである再生可能エネルギーの重要性が見直されたことも追い風となり、2012年に水利権について基本的な合意に至り、2014年にようやく建設工事に着手。しかし工事が始まった後も、トラブルは続きました。発電した分の電気を買い取る予定だった電力会社に、買い取りの余力がないことが判明したのです。
中岡 「それまで、何度も何度も電力会社に確認をしていたのですが、工事が開始された後に、余力がなくなっていたことが判明しました。めまいがしました。電力会社に事情を説明し、ご理解いただいた後も、設備の改修に必要な部品がない、と言われることもあり……。常に何かしら問題を抱えていましたし、予想外のこともたくさん起きました」
幾多のトラブルを乗り越え、遂に2016年2月小水力発電所が完成。中岡が計画を提案してから7年越しのことでした。
このモデルは全国初の導入スキームであることから、2016度新エネ大賞において資源エネルギー庁長官賞を、2020年には国土交通省から水資源功績者表彰を受賞しました。全国の水力発電を検討する自治体・団体からは「有田川モデル」と称され、年間を通し多くの視察者が訪れています。
試行錯誤して、自分にしかできないことをするからおもしろい
全国的な先進例として、小水力発電所が関係省庁などから表彰を受ける一方、未開の分野をこじ開けたという中岡のワークスタイルは、有田川町役場内はもとより、全国の公務員の参考となっています。行政は縦割りであることが多く、担当外の分野で政策を提案することは一般的ではありません。そのような職場でも、中岡は自らのアイデアを形にすることにこだわり抜きました。
中岡 「誰でもできることをするだけではつまらない。自分にしかできないことをするからこそ、仕事がおもしろくなるんだと思うんです。時には壁にぶつかって寝られない日もありましたが、走り回って知人や専門家に意見を求め試行錯誤するのは、とてもおもしろかったですね」
計画を進める中で、中岡の想いに共感した関係者が県との交渉の席に同席してくれるなど、従来の枠を超える大きな支援も受けました。特命係長として赴任した環境衛生課で、当時の課長が中岡氏の想いをくみ取り、あの手この手で交渉をサポートしてくれたり励ましてくれたり、交渉が停滞し気持ちが沈んでいた際に多いに助けられました。
中岡 「ひとつ壁を越えると、その先で誰かが力になってくれることが多かったんです。一歩目を踏み出すことが、実は一番大切なんじゃないかと思っています」
中岡の存在に支えられ、公務員として枠にとらわれない働き方をする後輩たち
2020年現在、中岡は管理職に就いており、部下の前向きな姿勢やアイデアを生かすことを重視し、課の垣根をこえた事業や前例のない案件についても後押しするなど、部下にとって頼もしい存在かつ大きな目標となっています。その部下のひとりが、有田川町産業振興部商工観光課の上野山 友之です。
上野山 「有田川町役場に入庁した2015年から3年間中岡の元で働きました。自分のアイデアを持ちその実現にまい進すると、その先によりよい景色が見えると、中岡から学びました。それが今の自分につながっています」
上野山は、中岡の教えの元、入庁1年目から廃校になった小学校の屋根への太陽光発電設備の設置を提案し、現在年間約150万円を稼ぎ出しています。入庁1年目から1000万以上の事業を企画・立案し、計画を遂行するというのは異例のことでした。また、水力発電所を中心としたエコなまちづくりのプロモーションを上野山が提案し、各省庁からの表彰やテレビ取材などを呼び込みました。雑誌やウェブメディアへの寄稿も多く行い、それがきっかけで現在は特定のメディアのライターもしており、公務員の常識を取り払った働き方を実践しています。
中岡 「上野山は、困ったことがあるときには常に2,3の答えと展開予想をセットで相談に来るんです。つまり物事の本質を理解しアウトプットすることが非常に得意で、彼のおかげで有田川町の取り組みを知ってくださる方が増えました。僕にはできなかったことです」
中岡は、表彰やプレゼンの場、視察の受け入れを自身で対応するのではなく、若手職員に任せることを大切にしています。このように、自分がプロジェクトの先頭を走るのではなく次の世代に引き継ぐことにより、アイデアを形にする職員が増える土壌を、管理職として整えています。また、若手に対して課の垣根をこえてアドバイスや励ましを行い、前向きな若手の師匠的なポジションになることも。中岡の動きは、若手職員に好影響を与え、若手が自らの思いを事業化する例が相次いでいます。
中岡 「公務員として働いている方の中には、『もっとこうしたい』『こうなったらいいのに』という考えを持っている方は多いと思います。そういうことを受け入れられる上司や組織であるよう、管理職は環境づくりやサポートに注力していくべきだと思います」
中岡から次世代に渡されたバトン。今後も有田川町の挑戦が続きます。